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「日本語を話せる」と「国語ができる」の間に存在する大きな溝。

5月26日
読了時間: 2分

小学5年生の国語の授業。

本日は読解問題に取り組みました。


読解問題において、最も大事なことは何か。それは、「守るべきことを守りながら、聞かれていることに答えること」です。どんなに本文の内容を正しく読み取っていても。 答えている内容そのものが合っていても。 守るべきルールを守らなければ、決して正解にはなりません。


今日の授業で、生徒たちが間違えてしまった原因。 それはまさに、この部分でした。


問題文で「どういうことですか」と聞かれている。 それなのに、解答の文末を「~だから」としてしまう。「どういうことですか」と聞かれたら、「~ということ」で結ぶ。 「なぜですか」と聞かれたら、「~だから」で結ぶ。


これは、国語における絶対のルールです。


しかし、日常会話ではどうでしょうか。 「これ、どういうこと?」と聞かれて、「あ、それは〇〇だからだよ」と答える。 何となく、会話は成立してしまいます。ここに、大きな落とし穴があります。会話では何となく成り立つやり取りも、試験という論理の世界では全く通用しません。


「日本語を話せること」と、「守るべきことを守りながら、聞かれていることに答えること」。 この二つの間には、大人が思っている以上に大きな溝が存在するのです。


国語は感覚ではなく論理です。


日常会話の「何となく」を、学習の場に持ち込ませない。 言葉のルールを厳格に守らせる。一見すると、細かすぎる指導に見えるかもしれません。 しかし、この「根っこ」を小学生のうちに作れるかどうかが、後の学力を大きく左右します。


長い目で見たとき、間違いなく力になる方法。 生徒が「何となく」から抜け出すまで、何度でもそれを徹底して叩き込みます。


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